日本における大学(医学部)附属の病院(以下、大学病院)における心理臨床家の歴史を辿ると、記録されている最初は、高良とみ(旧姓;和田とみ、1896-1993)が1923年(大正12年)に九州帝国大学医学部精神科に助手として着任したことに始まる。以来、多くの大学病院において心理臨床家は採用されてきた。しかし、未だに大学病院という大きな組織の中で考えると、決して多いとは言えない人数であり、全国各地に大学病院が点在しているという地理的な事情のみならず、学閥その他の課題もあり、これまで大学病院に勤務している心理臨床家の横のつながりは、個人的な知己のみに頼っていた。
21世紀に入るにあたって、この現状を打破し、患者・家族・医療スタッフにとって質の担保された心理臨床業務を行うための会を、発起人3名(津川律子・元永拓郎・森美加)で立ち上げることを考え、費用の関係から、まずは関東圏内の大学病院に勤務する心理職者87名に案内状を送付し、2001年1月6日(土)に東京駅近くで21名による会合をもった(第1回)。
第1回が盛況に終わることが出来たため、縦関係ではなく横のつながりを強調して、‘集い’という名称を継続しながら、常勤・非常勤、若手・ベテラン、臨床心理士資格の有無、学閥などを越える全国の会として、第2回から年に1~2回のペースで職能に直接関係する話題を取り上げてきた。幹事(旧世話人)は、現在10名で、全員が無償のボランティアとして企画から実施までのすべてを切り盛りしている。(2021年11月1日)